命の記憶-Living Proof-
2024年3月31日、三男と私で大陸の最期を看取りました。4月4日の通夜の日までに、毎日多くの方が大陸に会うために自宅を訪問くださいました。ベッドの大陸のそばで、尽きることなく大陸の話をしました。そんな時でさえ、大陸のエピソードが語られるたび、みんなで笑い合いました。
4月4日の通夜、5日の告別式には200人以上の方が参列くださり、大陸との別れを惜しんでくださいました。大陸が愛し、大陸を愛してくださった方々への喪主としてのごあいさつは、大陸のために私にできる最後の仕事、一世一代の仕事だと心に決め、当日、心を込めてごあいさつをしました。
大陸のことや家族の想いは、私の拙い言葉で語り尽くすことはできませんが、ここに、通夜・告別式でのごあいさつをそのまま記します。多くの方に、少しでも大陸のことを、そして家族の想いを知っていただけるなら、それは私たち家族にとって大きな慰めです。病床での壮絶な苦しみではなく(そちらは『治療と看取りの記録』に記します)、ここには、やさしく楽しく太陽のような大陸の記憶を記しています。
大陸の遺してくれた品々や写真の多くは、まだ見ることも触ることもできず整理できていません。いつか手に取り天国の大陸と語り合いたい。 おなかを抱えて笑い、時間も忘れて語り合った日々、どれだけ幸せだったかをもう一度大陸に伝えたい。
通夜
大陸の母の関谷共美と申します。本日はご多用のところ、長男大陸のお通夜のご焼香を賜りましてありがとうございます。こんなに多くの方々が、大陸を思って、悲しんで、駆け付けてくださいましたこと、きっと大陸も驚いて、喜んでいることと思います。心より感謝申し上げます。
大陸は、小さい時から誰も目に留めないようなこととか、見過ごしてしまうような出来事や人々にスポットライトをあてることが喜びでした。世の中の評価や肩書など関係なく、自分の目でまっすぐと人間や世界を見つめて、ほんとに豊かな言葉で語ってくれました。
大陸が研究の道に進むことを志した原点は、幼稚園のときに読んだ水木しげると、NHKのハッチポッチステーションでした。民俗学や文化や歴史、語り継がれていくべきものがあると、そういったものへの深い愛情を育みました。名前も知らないような先達たちの足跡をたどって歩いて、読んで、聞いて、記録していました。
告別式
大陸の母、関谷共美でございます。本日は、大陸のために、遠路ご会葬賜りまして、心より感謝申し上げます。
昨日の通夜式においても、そのあと、たくさんの方が遅くまで残ってくださって、弟・宙太と私に、大陸への思いやエピソードを語って、悲しみを大陸への想いを共にしてくださいました。また、先ほどは、6人の方のお心のこもったご弔辞をとおして、大陸が、わずか28年間で、どんなに人生を楽しんで、どんなに多くの方に愛されたかを知ることができました。私たち家族にとっては、大きな慰めです。
昨日、お別れの時、高校時代の友人のお一人が、「どうしてもお伝えしたい」と、大陸とのエピソードを教えてくださいました。クラスで、ある人が言った言葉に、クラスメートはみんな爆笑したのですが、その中で、その方と大陸だけが笑わなかった。あとで、大陸とそのことを話した時、大陸は、「人をさげすむ笑いは嫌いや」と言ったそうです。
大陸は、羽柴秀吉さんや、マック赤坂さんや、もはや聞いたこともないような泡沫候補と言われる方々の本を読んだり、政見放送をわざわざ録画して、「お母さん、これ見てや。この人、むちゃ面白いで」と、言ってることむちゃくちゃやんという政見放送を見ながら何時間でも話をしました。大笑いしました。「でも、この人、言ってることとやってること、一貫してるやろ。人間としては信頼できんで」…。羽柴秀吉さんが亡くなったとき、ほんとに悲しんでいました。
令和4年度 日本デカンショ節大賞(応募総数63点)
1995年11月5日 大阪市阿倍野区に生まれ育つ
1999年1月 弟(次男)、晴河が生まれて25時間40分で天国へ
1999年4月 長池幼稚園(現 学校法人たつみ学園ながいけ認定こども)入園
2001年8月 宙太(三男)が生まれる
2002年4月 大阪市立阪南小学校入学
2008年4月 大阪市立阪南中学校入学
2011年4月 大阪府立天王寺高校入学
2015年4月 – 2019年 3月 大阪大学 人間科学部 人間科学科
2019年4月 – 2021年3月 大阪大学 人間科学研究科 人間科学専攻
2021年4月 大阪メトロOsaka Metro入社
2024年3月31日 天国へ
* ダブルストーマとなり、動くことも、生涯口から食べることもできない状態になりました。それでも博士課程に戻り研究をしたいと最期まで願い、準備していました。最後の論文は、そのために仕上げた論文でした。
史上最年少で大阪検定1級に合格し、それから毎年受験して1級を取得し、亡くなる直前まで大阪公立大学研究推進機構大阪検定客員研究員としての研究活動を楽しみました。
令和5年度3月の研究発表のひと月前には、もうPCをうつことも話すこともできなくなりました。
しかし、最後まで発表をするつもりで資料を完成させました。発表はかないませんでしたが、その令和5年度の研究成果報告書は、公式ページに掲載されています。
☞ 「現代ものまね史序説―ものまねの変遷と拡大」にまつわるエピローグ
“ものまね研究、見て、やって、学ぶ”
ものまねの考察、研究は、大陸の人生最大の楽しみであり生きがいでした。この論文は絶筆です。生前、最後まであきらめず、2024年2月についに校了しました。6月に発刊されましたが、手にすることはできませんでした。就職して3年、研究者として歩むことを決心し、博士課程に戻る準備をしていました。
道半ばでした。
*ご希望の方にはこの論文の別刷りをお送りしますので、ご連絡ください。
❖大阪公立大学客員研究員研究報告
史上最年少で大阪検定1級に合格し、大阪公立大学客員研究員として発表した動画です。
❖ものまね研究会とラジオ出演 「福島のぶひろのどうぞお構いなく」
大阪大学ものまね研究会会長としてラジオ出演した音声です。
MBSアナウンサーの福島のぶひろさんと、「誰が知ってんねん」という
ディープでマニアックなものまね談義に花を咲かせました。
ぜひお聴きください。楽しい時間をお約束します!
❖大陸のツイート
長い間、ものまねを通じて人間と社会を観察し続けました。
「やっぱり『らも』が僕をつくったんやな」
小さいころから読んでいた中島らも。
病床、苦しい時に、中島らもが自分を作ったと言った大陸。
ナンシー関のエッセイを何時間でも語り合いました。
大陸の言葉には、そんなユーモアの源泉があります。
くすっとしたり、なるほど~とものまね考察に感心したり。
ぜひお読みください。楽しい時間をお約束します!
❖家族や友人との日常をスライドショーで
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